「キライ。大キライ」
 自分が悪いことはわかっているが、とどめを刺されて尚、執拗に刺し込んで来られそうな雰囲気に、大して広くもない可愛らしい部屋の中でわたしは立ち上がった。
「ん、ちょっと頭冷やして来るわ」
「き、らい」
「もうわかったって」
 それ以上は勘弁して欲しい。本当はそんなことを望む資格はないけれど、こうも連発されたらさすがにきつい。つらさが苛立ちに変換されてしまいそうだ。当たってしまえば、自分も彼女もきっと死にそうになる。何も良いことなんかない。だから、
「……きらい」
 そんな風に引き止めないで欲しいのに、どうしてこのこは、こうなんだろう。
「なんで泣きそうな顔すんの。構って欲しくて言ってんの?」
 間髪を入れずに何かが飛んで来た。
「違う!」
「あっぶな」
 軌道を追ってみれば、たぬきのぬいぐるみである。わたしが昔UFOキャッチャーで取ってあげたやつ。ありがち。あげた側の癖に覚えているわたしは中々に女々しい。
 あれなら別に当たっても痛くはなかったな、と思った。
 それにしてもリアクションがわざとらしい程にファンシーで、女の子で、胸焼けしそう。可哀想なたぬきを鷲掴んで引き寄せて、なんとなく頭を払ってやった。べつに汚れてなんかいないけど。彼女は普通にきれい好きだ。
「もうさあ、すごい寂しそう」
「どこが!」
「鏡見る?」
「要らん、ばか!」
 溜め息をついた。溜め息をつくぐらいしか出来ないじゃないか、こんなシチュエーションで。世の中の彼氏のひとたちってたいへんだな。
「……ひどいことしたの、そっちじゃん」
 精一杯低くしたような声で、恨みがましく彼女が呟いた。それを言われると、けっこう言葉もない。
「なのになんで面倒がられなきゃいけないの。そっちが発端じゃん。だからあんたにはあたしにキライって言われて、全部聞く、義務があって、謝るのとか、言うだけ言ってそれだけでひとりで満足してさっさと出て行くくらいなら、はじめからあたしになんて関わらなければ良いっ……その程度ですきだとかふざけんなっ……」
「……、反省してる」
 やっと、見えた、と思った。
「キライ」
「うん。要望があって言ってる訳じゃないんだ。大して責めてもいないんだ」
 中々言葉にしてくれない、親切心の欠片もない彼女に代わって、背中に隠れているみたいな彼女の心を形にしていく。
「責めてるよばか」
「全然攻撃じゃないんだ。……機嫌を取って欲しい訳でもない」
 まあ、それはそうだ。機嫌なんか取ろうとしたら逆に怒られそう。
 彼女はつらかったと繰り返していた。それだけだった。あなたにこうされるとつらい。つらい。つらい。つらいつらいつらいつらいつらいあなただからだ、わかっているのか。なんて重くて、なんて痛ましくて、わたしは、これが、欲しかった。
 横に座ったら、彼女は上半身をわたしから離すようにやや引いた。
「ごめんね。わたしも愛してる」
「……は?!」
 彼女はわかって欲しいだけ。自分は、これを教えて欲しくてわかりたくて、あんな振る舞いをしたのかもしれない。サイテーだ。だけど彼女は、ある意味はじめから許している。受け止めている。こんな痛々しく泣くのを我慢するしかないくらいつらい癖に。
「、もって、何」
「いや、そっちがそう言ってるから」
「言ってない!」
「めっちゃ聞こえてんだけど。というかやっと聞こえたんだけど。ごめんねにぶくて。おまたせ」
「勝手に進めるな! なにその顔、むかつく! キライ!」
「知ってる」
「……っわかってる?! ちゃんと伝わってる?!」
「伝わってるよ。なんか今までで一番愛を感じてる」
「だから!」
「怒れば怒る程愛が深いパターン?」
「……っ、も、出てけ」
「うん。行かない」
「ちがう本気で、出てけ。頭冷やして来いばか!」
 わたしの満面の笑みは全く通じず、命令するみたいに腕を真っ直ぐに伸ばしてドアを指されて、ぎらぎらと睨み付けられて、終いには腕を引いて背中を押し出して無理矢理に、まあ、追い出された。全く可愛いお姫様だった。

 ***

 ――ひとりの部屋で、仲直り出来たとちいさく泣き笑いした。明日になったら切り替えてあげる。めんどくさいあたしを見離さないあなたが優しいことを、ちゃんと知ってる。


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